【Nagoya Dance seen Vol.5】アフタートーク

2017/6/4


名古屋を代表する舞踊家、倉知可英さんが主催するK.K studio nagoya
にて、【Nagoya Dance seen Vol.5】やまだしげきWSショーイングを開催させていただきました。



K.K studio nagoyaとは、可英さんの大叔母様、奥田敏子さんが築いた名古屋現代舞踊の先駆けとなった歴史あるスタジオです。このような場所で、今回の様な挑戦をさせて頂けた事、本当に有り難く感謝致します。


この企画では、スタジオパフォーマンス本番まで、ダンサーと顔を会わせるリハーサル期間が8日しかない!という事で、僕が創作した台本(プロット)を元に、作曲家のMaharo君に音源制作を依頼し、衣装の装飾を光冨さよさんに依頼。楽曲、衣装がほぼ完成した状態で、参加ダンサーとのクリエーションをスタートしました。


集まってくれたダンサーの皆は、中学生〜還暦世代の女性ダンサー10名。
名古屋を拠点に精力的に活動する30代男性ダンサー1名。


そしてチケットは2週間前に完売!


僕のような、我が道を勝手に歩んでいるような活動をする人間の元に、こんなに集まってくれたのは、倉知さんのおかげです。


この企画では、タイトなスケジュールの中、30分程度のWS作品、僕が倉知さんに振付/監修するソロ作品、倉知さんが僕に振付/監修するソロ作品を創作/発表しました。


作品とはいえ、スタジオでのパフォーマンスです。
舞踊作品というよりは、パフォーマンス作品、
振付作品というよりは、「与えられた条件で、この企画全体をどう演出するか?」
ってことを念頭に創作しました。


8日間のワークショップ(リハーサル)と1回のショーイングを終えて、会場に足を運んでくださった方々、WS参加者のみんな、想像以上に楽しんでいただけた方が多かったようで、ほっと安心すると共に、ダンスについて、作品について、振付について、演出について、ぼくが本当にやりたい事、やるべき事って何なんだろう?っていう最大の疑問について、今一度深く考える貴重な機会となりました。



そもそも僕がダンスを本気でやってみよう!って思ったモチベーションって「ダンサーになったら働かないで遊んでるみたいに暮らせるかも!」っていう幼稚な欲望に基づいていて、決してアーティスティックなものなんかじゃなくて、要するに、バイトしたくない、働きたくない(別の言い方をするなら、若かりし頃から漠然とあまり賛成できない経済成長最優先社会になるべく加担したくないなぁ)という程度の消去法での選択でしかありませんでした。


やりたいことをやる!というよりは、やりたくないことを如何にやらないか?ということに人生の創造力の大半をかけて生きているような人間ですので、ダンスにも作品にも振付にも演出にも、良くも悪くもそれが現れているような気がします。


舞台/パフォーマンス作品を発表するって本当に大変なことです。どこまでを目指して、どこでそれを発表するのか?できるのか?ってことを作品と同様に考えなければ伝わらないと思うからです。



ぼくは近年、少しだけ現代美術を学んで、コンセプチュアルアートの作品の考え方の面白さを感じて、TEAM WARERAとしてそんな方向の作品にもトライしていました。これは、考え抜かれ研ぎすまされた思想概念を創造する観念的な芸術で、僕がそれまで考えていた表現とは全く異なる作品構築の仕方がある事と、その面白さを知りました。


今回のWSショーイングでは、久しぶりに、自分発信の(クライアントワークではない)作品制作の機会をいただき、理論立てて言葉による概念を構築するコンセプチュアルアート的な作品とは真逆の創作方法「ただ直感と欲望のみを愚直に信じて作品を構築/演出していく」ということにピュアに徹するという実験をしました。舞踊作品という枠組みだからこそ、そんな創り方がアリなんじゃないか?というよりむしろ、ダンスはそうあるべきなんじゃないか?という思いをまっすぐ実践して、観客に委ねてみようと思ったのです。


この企画を生で目撃した方の多くから、賛否含め、期待以上の反応が頂けた事は僕にとって「ほっ」とできた反面、これは単に僕の思い込みかもしれませんが、しっかりとこの意味不明の理由を言語化するのが現代の職業アーティストとしての責任(プロフェッショナル)なんだという新たな壁が立ち現れた瞬間でもありました。




当然ながら、ストーリーは意味不明。今回作曲を依頼したMaharo君との打ち合わせの時には、「言葉で理解し合おうとするのはやめようね。」を前提にクリエーションを開始しました。


実は今回、舞台音源の制作はMaharo君にとっても初のチャレンジでした!


彼は普段、某アングラバンドの作詞/作曲/ボーカルを担当する音楽家です。


作品にとって「音」は聴覚を支配する最重要な要素の一つなのですが、そこに関して、ぼくは、技術は勿論、センスに関しても趣味的な好き嫌い程度しか持ち合わせていない事を自覚しています。


「餅は餅屋」という諺に学び、音楽家Maharo君のセンスを信じ、ぼくの意味不明な台本にある曲目リストと、携帯に録音した鼻歌等を託しました。その様にして産み出された楽曲に、プロットのイメージを照らし合わせ、音楽からのインスピレーションが多分に加わり、振付/演出を創っていきました。まさに即興セッションの様な創り方です。




作品タイトルは、「げじりにうら〜金の魚の舞〜」



作品中にダンサーが発する言葉は、日本語に簡単なルールを設け、ダンサーだけが共有する暗号です。観ているお客さんには異国の言語のように「音として感じてもらう」という意図を持って使用しました。


簡単に解読できてしまう暗号ですが(事実、一人のダンサーが5日目に解読しました!)、今後、例えば共謀罪法案などがエスカレートして言論の自由が脅かされたとしても、この暗号があれば、言いたい事、恥ずかしい事、なんでも大声で叫ぶ事ができるかもしれません♪


「こあぴてゆもわ〜」とかね♪


タイトルの〜げじりにうら〜に始まり、異世界(僕の直感的内面世界)の世界観を貫き通す為に、カーテンコールでは「いるぐなえさじうみせち」という創作言語でのご挨拶で終了するという、基本的に徹底的に直感を信じて(子供がふざけてオドル様に)遊びつくす事を目指した作品です。


ダンサーのみんなが、最終的にこの世界のなかで楽しく遊んでくれていた事を受け取った時は、喜びと共に、正直、ぼくにとって大きな驚きでもありました。



8日間のWS作品としては価値ある挑戦であったと思いますが、調子にノリ、ダンサーの皆に当日、新たな台詞を追加し、消化不良のなかでの本番、申し訳なく思うと同時に、あの怪しい台詞「あちけほ〜っ」「まあとかじあそ」「さんろすぞってぃ〜」が会場に響き渡らなかった事、そしてそれが、その後に続く、この作品の核心部となる、テーマを与えていない「即興」のシーンに影響してしまった事、やはり悔しい思いです。


あのタイミングで台詞を追加した「前のめり」な姿勢っていうのは、この即興セッション的な作品に、僕のエゴが介入した瞬間だったのかも知れないなぁと自省しました。


倉知さんとの共同作業に関しても、ここでは語り尽くせぬほどの沢山の発見がありました。


※黒い服の男性はボクではありません(笑)


名古屋で精力的に活動するコンテンポラリーダンサーの堀江善弘くんです♪



まだまだ、改良の余地が多々ありましたが、どちらの作品も、短期間集中でやれることはやりきったという感じです。


ありがとうございました!




次ダンス作品に係るならば、小劇場で作品演出したいなぁ。
金かかるな〜
あ、スタジオをもっと劇場風に演出すればいいのか、、
とか、、いろいろ先の展開を妄想中です♪


それではまた!


ごきげんよう〜